○【6.夢魔】
水の中の泥のように、私は眠っていた。
【ユメ】「……ん」
だけど遠くで、人の気配。……本のページをめくる音。
波間に浮かぶ波紋。言葉。……聞き慣れた。
【ソイ】「ま、結論から言ってしまえば、玉麗が助けたという魔女は、人に化けた魔物。夢魔『リップ』じゃ。リップは我が国が高額の賞金首をかけておるからの。追いかけていたチンピラどもは、おそらくその賞金目当てじゃろ……ん、この本は七歳当時のものじゃの。後じゃ後」
【ユーリ】「なるほどね。しかし、本物の悪人は考えることが違うな。脅したり、騙したりして不当な契約を結ばせる話はよく聞くけれど、知らないうちに契約させるっていうのは、初めて聞いたよ……あ、殿下。十二歳の読み終わったので、どうぞ」
【アキト】「あの玉麗が一杯食わされるくらいだからな。うわ、ほんとに取説に小さい字で契約の文言が書いてある。こんなの、俺でもきづかねーって! ……しかしお前ら、容赦ねえな」
(殿下に……アキト、ユーリ……おかしいな。寮にいるなら、玉麗の声がするはず……)
そこまで思って、瞼を開けた。
(そうだ、私は先輩の魂を追って)
がばり、と体を勢いよく起こした。
目の前には、殿下にユーリ、そしてアキトもいる。
【ソイ】「お、起きたか」
【ユーリ】「おはよ」
【アキト】「……寝癖つきすぎ」
【ユメ】「は!」
ジト目で睨むアキトに指摘され、私は後ろ頭を撫でつける。
どうやら、私は気絶していたらしい。
周囲を見渡すと、見慣れた本棚。
図書館塔の中だ。窓からは日の光も差し込んでいる。
――なんだかとてもほっとした。
(だって夢を見ていたんだもんね)
いつから、どこからかが夢の範囲なのかは解らないけれど。
胸の奥がきりりと痛む。
(先輩の魂が、吸い込まれてしまった)
あんなこと、絶対現実じゃない。
私の妄想だ――そう思いたかったのだ。
【ユメ】「うう、なんだか私、居眠りしてた? 変な夢みてたから、寝言とか言ってなかった?」
【アキト】「ああ、言ってたぞ。私はテストの回答を一段ずつずらして書いた大馬鹿ものでーすって」
【ユメ】「ひえええ! ほんとに!?」
【ソイ】「言っておらん、言っておらん。まったくアキト。おぬしはどうしてそう、姉に厳しい。少しは優しくしてやれ」
【アキト】「ふん。優しくすると、すごこいつはつけあがるから。これくらいでいーんだよ」
【ユーリ】「やれやれ。状況はけしてよくないのに、どうして空気をわざわざ悪くするのかな。……ユメちゃん、大丈夫。本当に寝言なんて言っていないから」
【ユメ】「ほ、ほんと?」
【ユーリ】「うん、ほんと。でも、現実の僕らは寝ているけどね」
【ユメ】「……はい?」
けれど、そんな私の考えは甘かった。
ユーリが少し気の毒そうに私を見た。
アキトは苛ついたまま、殿下は冷静なまま。
す、と軽やかに立ち上がる。
【ソイ】「百聞は一見にしかず。窓を開けて見せてやれ」
【ユーリ】「そうだね。こっち、ユメちゃん。開けるよ」
殿下に促されたユーリが、手近の窓を大きく開け放った。
――びゅう、と温かな風が吹き込んでくる。
花びらと共に。
【ユメ】「わぷっ!」
けれど、それはおかしいことだった。
気温も、当然景色の方も。
窓の外に広がるのは、メルヘンチックな田園風景。
明らかにアカデミーから見る景色とは違う。
そして、私は青ざめる。
【ユメ】「なっ……ここ、アカデミーじゃない? 地平線の彼方まで、平らな緑の草原ばっかり……おかしいです。だって、さっきまで私は図書館で、先輩と……あ! そうだ、カルロス先輩! 先輩が倒れて!」
【ユーリ】「解ってる。僕らもそこに居合わせたからね」
【ソイ】「ユメ。おぬしが玉麗からもらったあのビデオはな、夢魔『リップ』の罠だったのじゃ。一度目の再生では望み通りの知識を与え、二度目の再生では命を奪う。そういう契約を結ばせるための、な」
【ユメ】「えっ、ええええええええー!」
身体全身から力が抜け、私は床にへたりこむ。
やっぱり夢なんかじゃなかったのだ。
先輩が――先輩の命の火が、何者かに奪われ、消えていったことは。
夢魔リップ。
それがきっと、敵の名前。
【ユーリ】「まったく、引っかけられたよ。麓に降りて聞き込みをしていたら、その行動が殿下の耳に入ったみたいでね。すぐに呼びつけられて、リップの企みを知った」
【アキト】「リップはソイの国、シグルイでも悪さをやって、今でも逃げおおせている、曰く付きの悪魔なんだってさ。要するに、俺たちははめられたってことだ」
【ソイ】「ま、うまい話には裏がある。追試の件は同情するが、やはり地道が一番ということじゃの」
【ユメ】「う、うう……やっぱり、そうですよね、あう」
床に手をつき、私はがっくりとうなだれる。
自分のことを馬鹿だのろまだと思っていても、今すぐ直せる術はない。
昔から、私はいつもこうだ。
自然とトラブルを引き寄せてしまう。
けれど今までなら、自分だけ、もしくはアキトを巻き込むだけで済んだ。
家族内でなら、許されていた。
(先輩)
ネクタイをぎゅうと引っ張って、私は先輩の身を案じた。
同時に、殿下やユーリに申し訳なくて唇を噛んだ。血が出るくらい。
だって……泣いてしまいそうだったから。
【ソイ】「はは! そう落ち込むでない。余はべつに、おぬしを咎めているわけではないぞ。そもそもおぬしは自ら望んで、ビデオを欲したのではない。いわばこれは事故じゃ。気にするでない」
【ユメ】「気にしますよ! だ、だって殿下は、みんなは関係ないのに!」
【ユーリ】「ユメちゃん」
ユーリが私の肩に手をかけた。
慰めようとしてくれている、
だけど、私にそんな優しさを受ける資格はない。
頭を振って、立ち上がる。
【ユメ】「しかも、ここはアカデミーであって、アカデミーでないところです。以前殿下と一緒に行った、『時の狭間』みたいな雰囲気がします。ということは……」
【ソイ】「ふむ。我らはどうも、ユメを侮りがちじゃの」
【ユーリ】「そうだね。ユメちゃんは純粋だけど、勘は良い子なんだ」
【アキト】「……馬鹿で物知らずだけど、気づかなくていいことには気づくおせっかいって言え」
どうやら、私の危機感は、ちゃんとみんなに伝わったようだ。
私だって、一応は魔女のはしくれだ。
今の状況がどれだけ「ヤバイ」ものかくらい、解る。
――肌で、感じる。
花の香りのする優しいそよ風が、背筋をじとりと撫でていった。
【ソイ】「おぬしが察している通り。ここは現実の世界ではない。我らはカルロスの夢の中にいるのじゃ」
【ユメ】「……先輩の、夢のなかに……?」
【ユーリ】「そ。僕らは麓で夢魔『リップ』を追い詰めた。だけど最後のトドメがさせなかったんだ。なぜなら、リップと誰かの契約が成り立っちゃったから」
【アキト】「お前とカルロスがビデオを再生したことで、リップはカルロスの頭の中に逃げこんだ。引っ張られてお前、そして俺たちも」
【ユメ】「っ……そ、そんな!」
よろける足下を、ユーリが柔らかく受け止めてくれる。
だけど胸が詰まって、苦しくて、ありがとうさえも言えなかった。
【ソイ】「リップは夢魔……夢の悪魔じゃ。契約者の夢を亘り、あらゆる場所に身を隠し、出現する。しかし長い逃亡生活の果てで、もはや誰もやつを相手にせん。勝ったと思ったのじゃがな」
【ユメ】「そ、それじゃ……私また、殿下に取り返しのつかない、迷惑を」
先輩にも申し訳ないが、殿下の邪魔もしてしまっていたようだ。
殿下は、シグルイという国の王子様。
今は訳あって、小さな子どもの姿をしているけれど、実際は私たちと同い年だ。
けれど身体は小さくても、殿下は今もシグルイの王子として、故郷を救うために必要な、様々な活動をしている。
夢魔退治も、きっとその一環なのだ。
――もう死んでしまいそうな気分だった。
でも、そんな私の青白い顔を、殿下は下から背伸びして見てきた。
額を小さく小突かれる。
【ソイ】「あほ。惚れた女にかけられる迷惑は、余にとって何より甘い砂糖菓子じゃ」
【ユメ】「で、殿下……」
あっという間に、顔色が青から赤になってしまう。
殿下の、きらきら光宝石のような目から、私は視線が逸らせない。
【ユーリ】「うわー、ストレート。これは、見習ったほうがいいよ、アキト」
【アキト】「見習えるかっ、あんなのっ! お前じゃあるまいし!」
振り向くと私だけでなく、アキトまで顔が真っ赤になっていた。
こっちはどうやら、ユーリの入れる茶々が原因のようだけど。
【ソイ】「はは、要するに。心配するなということじゃ。カルロスも助けるし、夢魔『リップ』も捕らえる。暁の王子たる余に不可能はない」
【ユーリ】「そうですね。前向きにいきましょう。状況は悪そうに見えますが、案外抜け道はありそうです」
【アキト】「お前ら……それって前向きっていうか、脳天気って気がするぞ」
【ソイ】「なんじゃ、おぬしは脳天気が嫌いか」
【アキト】「……べつに、嫌いじゃない」
【ソイ】「だったら、さっさと、カルロスを助けにゆくぞ! 皆のもの、出発じゃー!」
殿下が勢いよく拳を振り上げる。
なんだか、私がぐじぐし悩んでいたのが、馬鹿みたいだ。
危機が迫り、どうしようもない状態になったとしても、乗り越えてしまえばそれでいい。
殿下と一緒にいると、いつもそんな前向きな気持ちになれる。
だから。
【ユメ】「お、おおー!」
私も、精一杯声を張り上げた。笑顔で。
【アキト】「……なんかもう勝手にリーダーになってるし」
【ユーリ】「あはは、いいじゃない、楽しそうだから。ユメちゃんが」
【アキト】「ふん。……それが一番気に入らねーんだよ」
後ろにちょっとした、拗ねた視線を感じつつ――私は窓の外に広がる、見慣れぬ風景を振り返った。