○【10.雪の城】
どす、という鈍い音を立てて、私の上に雪が落ちた。
【ユメ】「ううっ……いたい上に……つめたい」
でも生きている。死んでいない。
なおかつ……。
【ユメ】「ちゃんと、ついたみたい……」
膝を立て、周囲を見渡す。
真っ白な雪が降り積もる、大きなお城がそこにはあった。
流麗な細工が施されたバルコニー、そして厚い氷で埋め尽くされた、大きな池。
どうやら、私は無事に夢魔の城へ着いたようだ。
【ユメ】「や、やったあ! せ、成功、大成功ー!」
嬉しくて、つい万歳をしてしまったけど、すぐに思い直して、口を覆う。
【ユメ】「っとと……騒いじゃだめ! ここは敵地。夢魔『リップの城』なんだから……」
頭を低くし、体を伏せて、そろりそろりと近場の茂みに隠れる。
周囲の様子を窺って、城に入れる入り口を探す。
【ユメ】「なんとかして、建物の中に入らないと……ここは中庭かな? 向こうに、大きな扉がある。……正門、かなあ? ……わっ!?」
匍匐前進しながら観察していると、何か物音がした。
慌てて体を近くの草の陰に隠す。
目の前には大きな池。大きな雪の固まりがぷかぷかと浮いていた。
——正面扉が、細く開く。
すわ、リップが出てくるかと思って、緊張で体が硬くなった。
【ユメ】「っ……」
そのまましばらく待ってみた。
でも、誰も出てこない。
つい、ちょっとだけ……と思って頭をあげてみる……と。
黒いボールみたいなものが、扉の隙間から投げ出された。
【ユメ】「わっ……?」
そしてすぐに扉は閉まってしまう。
放り投げられた何かはころころと坂を下り、少し雪を巻き込んで大きくなり、凍った池にまでやってくる。
そう、私の目の前に。
私はじいっと、その物体を観察する。
城の中から誰かが出てきて、拾いに来る気配はない。
だから……少し悩みつつも、手を伸ばす。
触って雪を払いのけると、どうやらそれは何かの卵のようだった。
あんなに乱暴に放り投げられて、よく割れなかったものだと思う。
でも普通の卵ともちょっと違う。
なぜなら、魔法の呪文らしきものが書いてあったからだ。
【ユメ】「中に、何が入ってるんだろう?」
気になって、耳元で卵をシャカシャカと振ってみた。
すると。
【?】「ひいっ! もう勘弁して! 吐いちゃう、吐いちゃうからあああ! うっく……」
【ユメ】「え? なにか声がする……」
【?】「だ、だからゆすらないでっ……いやああ! 何でも言うこと聞くからあ……悪いこともしないからあ……えぐえぐ……」
【ユメ】「ひえっ!?」
女の人の声が、卵の中から聞こえた。
びっくりして、私は卵を手放してしまう。
池の上に勢いよく落としてしまい、氷に大きなヒビが入る。
【?】「ひいっ!」
【ユメ】「た、た、卵が喋った……」
【?】「ち、ちがうわよ! 今さら何言って……って、声が女ね。あいつじゃ、ないの」
しかし卵のお喋りは止まらない。
しかも奇妙なことを言った。私を他の誰かと勘違いしかけたようだ。
卵を池の氷の上から拾い上げ、もう一度耳を傾ける。
【ユメ】「あいつ? あいつって誰」
【リップ】「それを聞きたいのはこっちのほうよ! 夢魔リップ様をこんな入れ物に閉じ込めて……うう、だ、騙された。夢魔が人間の色仕掛けに引っかかって、あげくに封印されるなんて、最低〜、えぐえぐ。もう二度と、赤毛の男なんて信用しないわ。もう決めた! すんすん」
耳が一瞬キーンと凍るくらいのマシンガントーク。
だけど内容は声の大きさより、もっと衝撃的で、大事なことを含んでいた。
【ユメ】「夢魔リップって……あ、あなたが? そして、赤毛の男って……もしかしなくても……」
【リップ】「ちょっとあんた! どこの誰だか知らないけど、この夢の中にいるってことは、クリシュナの手のものでしょう。だったら、忠告してあげる。夢魔リップはもう封印された。ならばもう、こんなところに用はないでしょ。現実への帰り方を教えてあげるから、引き返すのよ!」
頭が混乱してくる。
倒すべき敵だと思って乗り込んだ敵の城……のはずが。
城の主はこうして卵の中に封印され、私に忠告を与えてくれる。
まるで予定が違っていた。
一体どういうことだろう。
(なにより、赤毛の男って?)
常識的に考えたら……それは先輩に決まっているんだけど。
【リップ】「ちょっと! 私の話をちゃんと聞いてる!?」
【ユメ】「はっ、はい! 聞いてます」
卵の中にいるのに、スルドイ。
気持ちが別方向に向いていたのを気取られたようだ。
【リップ】「だったらいいわ。さあ、じゃあ私の言うとおり! この城から抜け出すのよ。もちろん私を連れてね」
【ユメ】「えっと……」
【リップ】「逆らうなんてことは許さないわ。だってあなたは私の忠告にょって、命が助かるんですからねっ! 嘘じゃないわよ、本当よ」
【ユメ】「え、でも……せっかく大変な思いして、ここまで来たのに。ゴーレムの森を突き抜けるのは、大変だったんだよ」
【リップ】「あいつらのことなら安心なさい。私の一声で、全部消えるわ。ねえ、だから引き返してよ、お願い!」
なんだか、変な感じだ。
こんなに必死になるなんて……。
しかも相手は夢魔、リップ。私たちを騙した張本人だ。
【ユメ】「それって要するに、お城に入るなってことだよね?」
【リップ】「……そうよ!」
【ユメ】「ごめん、それ無理」
当然の答えだ。
しかしリップはとてつもなく不満なようで、卵の殻を今にも破りそうな勢いで叩く。
手のひらの上で、卵がぴょんぴょんと跳ねるくらいに。
【リップ】「なんでよっ!」
【ユメ】「わあ! だって、だって、私は先輩を助けに来たんだよー」
【リップ】「先輩って……もしかしてあんた、あの赤毛の知り合いでもあるの? そうなの? そうなのねっ!」
【ユメ】「そそそ、そうだと思います。だ、だから」
【リップ】「むきーっ! だからあんな風に手のひら返しをしやがったのね! あ、そういえば『記憶の本』に、あんたみたいな融通の利かない馬鹿女のことが書いてあったような気がするわっ! きー、ますます許し難い!」
【ユメ】「あわわわ、そんなに暴れると、ああ!」
リップが吠える。
私は慌てる。
雪に濡れた手のひらは滑る。
だから——
【ユメ】「あ」
卵がすぽっと、手からすり抜けた。
【リップ】「いっ、いやあああああ!」
見事な放物線を描き……落下する。
池の中へ。ひびが深く入ったところに、運悪く。
【リップ】「つっ……冷たいいいいいいい」
【ユメ】「あ……池の中に落としちゃった……」
わざとじゃない。
絶対、わざとでしないのだけど……やってしまった。
冷たい風がびゅうと吹く。
体だけじゃなく、心にも。
しかしこれは、ある意味僥倖……かもしれない。
だって城に入らないわけにはいかないから。
卵の中に封印されているとはいえ、悪魔は悪魔。
……これ以上、甘言は聞かない方が良い。
でも、ちょっと可哀想では、ある。
【ユメ】「……あ、後で拾えばいいよね。寒いと思うけど、ちょ、ちょっとの間だから。待っててね、リップさん……」
【リップ】「もがががががー!」
ぶくぶくと冷たい池の中に沈んでいくリップの卵を尻目に、私は雪の城へ向かう。
さっき卵を投げ捨てた場所から、薄い光が見えたのだ。
確かにこの中には誰かいる。
リップじゃない誰か。リップが恐れる何か。
そして……
(先輩を今も捕まえている誰かが)
私はそいつと戦わなくてはならない。
そして助ける。
(私を救ってくれた、お返しに)
私が先輩を助けると、誓った。
心を強く持って、扉の取っ手に手をかける。
重たい音が、お腹にずんと響き渡った。